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好きな音楽

シャンソン

本日はワタクシめの音楽の好みをかいてしまう。


その①

幼少時から書いていけば、

「汽車ぽっぽ」
レコードプレーヤーをテレビのスピーカーで鳴らしていた(^_^; もちろん塩ビソノシート。
「ハンガリアン舞曲」これはドーナツ版だった。幼稚園にはいる前に聞いたはずだが
なぜかメロディを全部覚えた。
「鉄人28号」のテーマソングここらへんからTV番組の影響が始まる。
TVドラマが続く、「ウルトラQ」のテーマなぜかウルトラマンのテーマは印象に薄くて、次に「サンダーバード」のテーマ。前者はビックバンドジャズ風アレンジでエレキギターの音色を初めて知った。後者はイギリス民謡風?の調べが特徴的だった。どちらもドラマと音楽が等しく気に入った。
そして、昭和39年年末、初めて見に行った映画館で、伊福部昭氏の音楽に出会った。当然、ゴジラのテーマである。当時ホームビデオなどなく、TVでゴジラが放映されたときに英会話用のテレコ(テープレコーダーのこと、ラジオ付き)で音だけ記録し、繰り返し聞いた。台詞とSEそして音楽だけで、画面を思い起こす、この繰り返しは想像力の訓練にはなった、かと思う。伊福部作品は何か懐かしいさを感じる、なぜだろう?
さて小学校高学年になると、友達の家のステレオで聞いたシベリウスとかが印象的だった。
そして、中学生になりたてで、やはり友人の家で(だってうち、ステレオなかったもん)聞いた「竹田の子守歌」この歌のイントロの美しさ、アコギ(ギブソンJ-45)の12フレットで始まるこのイントロ。そして男女混声のハーモニーの美しさ。以後アコギ好きとへたくそながらライブしたりする原因はこの曲である。


その②

さて、そんでもってステレオが欲しくなって、親にせがみ、安物のステレオを買ってもらった。同時にラジオからいろんな音楽を聴いた。FMの音の美しさにびっくりしたのもこの頃だ。
そして赤い鳥(解散してからは、紙ふうせん)六文銭、かぐや姫、拓郎、洋楽では、PP&Mなど聴き、自分も母親が練習放棄して置きっぱなしになっていたガットギターを弾き始める。
コピーしようとしたのは、竹田の子守歌、PUFF、雨が空から降ればなど。
シンガーソングライターになりたくて短い曲を自作したりする。混声のフォークグループを結成したかったが女の子に相手にされず、ソロでぼちぼち。ビートルズもきいたが、あまりに周りの中学生が熱狂していたのでかえって興ざめしてしまったが、何曲かはカラオケのレパートリィとなっている。
ギンギンのロックは聴いたが、自分で演奏したりはしなかった。アコーステックがすきなのである。楽器も人の声も。
あと、外国語っぽい発音の日本語もなじめなかった。
主に六文銭からは、歌詞が現代詩の詩人が多いということで、小室さんは「平家物語」にも曲を付けていた!!それがきっかけで、現代詩を、大岡信谷川俊太郎黒田三郎、など、外国ではボードレールエドガー・アラン・ポーなどを読み出した。
赤い鳥と紙ふうせんは、ポップスではなくて日本各地の伝承歌をアレンジして歌ったものが好きだった。美しい歌が多いのでもっと注目されてもいいと思う。
PP&Mを聴いたのは、それら日本のフォークグループに親しんだ後であった。思えば、六文銭も赤い鳥もPP&Mをコピーしてきたグループであった。PP&Mからはとにかく音楽の楽しさを感じた。同じくアメリカンフォークではブラザースフォアとかあったが、女性が入っているグループがやはり好みだったのである。メンバーのピーターさん、こんなまじめそうなアメリカ人はそういない(^_^;

そして、シャンソン、ムスタキに出会うのである。

その③

TVドラマの主題歌にフランスの歌手の歌を使うのは、誰の発案だったか。ともかく、「バラ色の人生」という1974年に放映されたドラマの主題歌がムスタキとの出会いであった。ドラマそのもの出来も良かったが、その主題歌「私の孤独」のドラムなし、エレキなしのアコースティックサウンドと、低い淡々とした歌声。時には音程も怪しいこともある、その歌声。そして詩。
「私は決して一人ではない、私は私の孤独と一緒なのだから」
このルフランにがああんとアタマを叩かれた思いだった。
ムスタキのアルバムを買って聴きまくった。
詩がよい、曲も。
音作りが好み(生音)
コンサートではバックボーカルに必ず女性が入っている。
コーラスグループばかり聴いていた私だが、少々音痴な私は
ムスタキの自然体の歌い方に親近感を覚えたのだ。
彼の作品がすべてフランス語なのは仕方ないが、ムスタキが英語圏で歌手デビューしていたら、ずいぶんと違っただろう。
ボブ・ディランレナード・コーエン、と並び称されたかもである。

次はそのムスタキの作品について。

その④

サンバボサノバフォルクローレそしてシャンソンの伝統、そして無名時代は船村徹氏の師事して美空ひばりも歌ったと言うムスタキ。亡命ギリシャ人の父をもちエジプトで育ち17才でパリに行き、作詞作曲をし、ピアフの恋人になったりもした。
自作自演の「異国の人」がヒットして一躍有名になった。1934年生まれ、
戌年生まれは私と同じ、わん!!
歌を聴いて初めて涙を流したのは彼の、シャンソンだった。
それは今でも続いている彼のシャンソンは私にとっての魂の故郷のようなもの。もちろん今ムスタキ以外は興味なしと言うことではもちろん無い。好きなアーティストは沢山いるが、ムスタキは自分にもっとも近いところにいるな、と感じるのである。・・・思いこみ・・・(^_^;

※2007年にmixiの日記に書いたものを加筆修正しました。


またなんでこのような誰もおまえの音楽の好みなぞきいてね~よ、と思われるかもしれないが
自分の音楽の好みなども書いてみたかった。


先日職場の人から文庫本をいただいた。

小椋佳 いたずらに』

何度も読み返されたのがわかる状態の本である。

この場で改めて感謝を捧げる。

小椋佳氏の歌には叙情的できれいな、印象を覚えていた。

ゆっくりと読ませていただく。

で、小椋佳氏の詩、ありましたねぇ

ジョルジュ伯父さん

ムスタキを聴いて夜更かし・・・わかりますね。


画像はいただいた『小椋佳 いたずらに』とムスタキのエッセイ

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