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銀色風船と娘




やぁ、おはよう。今朝もまた会えましたね。
銀色の風船は言いました。

おはよう。娘は答えました。
私たちすっかりこの街の風景に
なじんでしまったわね。

銀色の風船は親しげに言いました。
僕たちはじめはどきまぎしていたけど
やっと親しく昔からの友達みたいに話せて
うれしいですよ。
ところで聞かせて下さい
あなたはなぜ、毎日そこに立っているんですか。

娘はちょっと考えてから言いました。
私は殺されたのです。ラブホテルで。
私を殺したのが誰なのか、わからないので
こうして私を一日中、立たせて彼のことを
知ろうとしているんです。

あなたの前歯は欠けていますね。
銀色の風船は恥ずかしげに言いました。
娘は静かに答えました。
だって、私の名前は誰も知りませんもの。
だから目立った特徴を披露しなければならないのよ。

銀色の風船はまた問いました。
あなたの歯は死んでも治らないのですか。
娘は答えました。
そうです。死は何も変えてはくれませんでした。
だから、私は毎日前歯の欠けた口を開けて
私は誰でしょうって、問いかけているんです。

かわいそうに。銀色の風船は言いました。
いつからそうしているんです。

娘は答えました。もう四ヶ月になります。

銀色の風船は言いました。
四ヶ月もそこで問いかけ続けているんですか。
僕はここに来て一週間でこんなにしわだらけに
なってしまったと言うのに。

娘はまた静かに言いました。
仕方ないんです。いつかみんなはあきらめて
私の姿はこの街角から消えるでしょう。
私でさえ彼が誰なのか知らないのですから。

あなたはどうしてここにいるの。
今度は娘が聞きました。 銀色の風船は答えました。
僕はカメラ屋さんの店頭で、子供たちに配られたのです。
ひとりの子がきまぐれに手を離したので
今こうして電線にしがみついているんです。

飛んでいきたい? 空へ。娘はまた聞きました。
あそこには何があるのかしら。

銀色の風船は答えました。
そう。僕にその力があれば。

娘は独り言のように言いました。
・・・・その時は私も一緒に・・・・



        数日後、彼女の写真は取り払われた。

         道行く人々は誰も気にとめなかった。

         だが、行き交う人々の頭上で銀色の風船は

        電線にしがみついていた。

         彼は最後の友人を失ったのだ。

         そしてある日、きまぐれな風が彼を解き放った。

         しわだらけの彼は昇っていった。

         ビルやタワーを越え、高く、高く。

         ついに彼は雲の高さに達した。

        雲の粒子のあいだで風に翻弄され、

         遠く、近く、大きく、小さく、見えた。

         彼はもっと昇り、ついには

         雲の銀色の粒子と見分けがつかなくなった。

         でも、彼にはそれ以上、上昇する力と

         運命を持っていなかった。

        彼の体から最後の浮力が消える時

         それはまるで、ため息のように見えた。




          彼の行方は誰も知らない。










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